昔、庵主様の特集を作らせていただいた際、
「瀬戸内寂聴、85歳の遺言」という仮タイトルを企画書に入れて、
上司にゲキ怒りされたのを思い出した(喧嘩売りたいのか!)。
が、庵主様はそんなことで怒るような方ではなかった。
でも、確かにご自身の著書の方がお似合いです!https://t.co/dS0cGasl4D— mayuko (@mayucomcom) November 14, 2019
瀬戸内寂聴さん:「私なんかが闘っても、政治の体制は変わらないでしょう。でも、闘わなかったら芸術家じゃないと思います。私は縦から見たって横から見たって小説家だから、安保法案とか、反対すべきだと思ったら、やはり動くべきなんです。」https://t.co/vogRx9AeYY
— わんだーえぷ。 (@wonder_apron) November 14, 2019
朝日新書11月新刊『寂聴 九十七歳の遺言』の出版を記念して、11月14日、著者・瀬戸内寂聴さんの自坊、京都・嵯峨野の「寂庵」で記者会見が行われた。この日は、寂聴さんが1973年、51歳のときに出家して、46回目の得度記念日。
「これも仏さまのご縁でしょう。有り難いことです」と寂聴さん。紅葉が美しく色づいた寂庵に、テレビ、新聞、雑誌十数社の記者らが集まった。以下、主な内容を速報する。
* * *
――今回の新書『寂聴 九十七歳の遺言』、「遺言」という言葉がタイトルになっていて、ドキッとしました。瀬戸内寂聴さん(以下略):「遺言」ってつけたら、売れるかなと思って(笑)。「遺言」という言葉が何か嫌で、本を500冊以上も出してきたけれど、小説にもつけたことがなかったけれど、今回、初めてつけたんです。
ただ、97歳ですから、今夜死んでも、この会見が終わって母屋に歩いて戻るときに死んでもおかしくない。死が日常の中にくっついているんです。
ほんとに死の間近にいる97歳の私が、最後にどうしてもみなさんに言い残しておきたいという気持ちで書いたから、この本に「遺言」とつけました。
やさしい文章だし、読みやすいから、たくさんの人に読んでもらえることを願っています。
――これを最後に、もう書かないのかな、と思ってしまいました。
書かないと食べられないから、まだ書けるうちは書きたい(笑)。ただ、九十七という数字はきれいなのでとても好きなんです。九十八だと、なんとなくボタっとしている。
これが「百歳の遺言」でも、つまらないでしょう。だから「遺言」は、もうこれが最後ですね。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191114-00000070-sasahi-ent
ネットの反応
許して欲しいことがあるのはアナタ
あ、また、お坊さんのコスプレしてる。
過去の行いを知っているから、
この人の話は入ってこない、
受け付けない。
自分勝手に良いように解釈するお方です。
この人の言葉は心に響かないです。それどころか人間性を疑ってしまう。このクソ坊主!
確か、旦那子供を捨てて不倫相手に走った日々を、地獄のようだったと言っていたと思う。
大なり小なり、誰にでも秘密にしたい過去の失敗はあるはず。
それを隠さずに公表し、世間からの厳しい批判も自分が犯した罪への罰だと受け入れる。それって、結構な覚悟だと思う。
私にはできない。
真っ当に生きてきた人の正論、みたいなものに、人の心は動かない。
地獄を見てきた人の、生々しい言葉に慰められる人は多いと思う。
都合のいい事ばかり言ってんじゃねぇ、っつーの。
得度しただけの煩悩生臭
肉喰らって酒呑んでるのをテレビで放送されてる生臭坊主の印象しかない。
胡散っぽいね。
「愛する事は許す事」多分自身の事を言っていると思われる、「煩悩」が人を前に進ませる源かも知れ無い。
97歳は大したものだけど、もっと大したものなのは、その年で、さらに本を書いて、シャキッとしゃべれる、ということ。
黄金の言葉
愛してます ついてる 嬉しい 楽しい ありがとう 感謝してます 幸せ 許します。
憎まれっ子世にはばかるを地で行くおひと
いつまで、えらそうに説教されなきゃならない身のくせに説教といてんの
ほんと、腹立つわ?
散々男に狂って、家族捨てたり好き勝手やってきて偉そうに人に説教してて大キライ
朝日は瀬戸内さんを汚い日本の象徴として、死ぬまで記事にして死んでも記事にして日本を穢そうとしてるのですよ。そこまでやらないといけない朝日が可哀想でなりません。
まだまだ解脱出来てない事はご本人もお分かりでしょう。きっとその身が滅んでも悟りを開き、煩悩からは逃れられないし、人間とはそういうものだと思う。
だから本を書き続けたのかと。
波瀾万丈という番組での特集をたまたま見てから
なんつう生臭坊主だと幻滅
許しを乞う側の人間だろうに
こいつはただの言葉遊び。
許されない事をしたから、許せるんです。
一度も間違いを冒した事のない人間なんていないし、もしいたとしても、自分はその人の事を信用しない。
今や
ただの生臭坊主の印象しか持てない
ご自分にとっては良い言葉ですね。
子供を捨て不倫に走り
尼さんになっても仏教では御法度の
お肉大好き人間。
尼さんになっても変わらない。
何に関しても欲深。餓鬼の世界。
貴女の説法を聞いても勉強になりません。
捨てた娘と和解したと話してたけど、一切、娘さんの影が見えない。どこまでいっても嘘くせぇババアだ。
早死にする方は神様が自分のそばに置きたい人物で、長生きする方は神様が自分のそばに置きたくない人物です。”憎まれっ子世に憚る”とはよく言ったものです。
こんな生臭坊主の説法を有難がって聞く人々は、愚かで無知な方々です。類は友を呼ぶでしょう。
子供を捨てた破戒僧
詭弁師は綺麗事言うよね
愛することは生きること 阿久悠
和田アキ子「もう一度ふたりで歌いたい」より。
やりマンの尼だねー、地元徳島には恥ずかしくて帰れないとか笑
今どう生きているかが大事だわ。
許せる、心の広い人になりたいわね。
「会いすることは、許すこと」いいことば。
ここのコメント欄のほうが
ありがたい事言ってる人が多いね
坊主のくせに人相が悪い。