1970年代にシンガー・ソングライターとして活躍し、1983年(昭58)に引退した森田童子(もりた・どうじ)さん(本名不明)が4月24日に亡くなっていたことがわかり、多くのファンから驚きと悲しみの声があがっている。社民党の福島瑞穂氏は12日、ツイッターで森田さんの訃報に触れ、「ライブハウスに歌を聞きに行っていた。黒いパンツに黒のシャツ。大きなサングラスで顔も表情もわからない。つぶやくような、語りかけるような透明な歌声。たくさん歌を聞いていた」とファンだったことを明かし、「ご冥福を祈ります」と悼んだ。
作詞家の小室みつ子氏は「『雨のクロール』が好きでした。透明な声も、歌詞もメロもサウンドも心の奥深くまで突き刺さる力があった…。聴くとやるせない気持ちになるけど、すばらしい作品ばかり。ご冥福をお祈りします」と追悼。脳科学者の茂木健一郎氏は「森田童子さん、ずっと、永遠の思春期にいらっしゃるような、そんな気がしていました。ずっと、ずっと、青春の光の中に。影があってこその、おだやかでつややかな光の中に」としのんだ。
森田さんは、1975年(昭50)に「さよなら ぼくの ともだち」でデビュー。若さとむなしさが充満する歌詞と、語り掛けるような歌声が特徴で「孤立無援の唄」や「男のくせに泣いてくれた」などヒット曲を出した。
ライブハウスを中心に活動を展開し、若者に支持されたが、83年に東京・新宿ロフトでの公演後、活動を休止した。明確な引退宣言はなかったが、引退後は主婦として暮らし、表舞台には出なかった。65歳だった。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180612-00236285-nksports-ent
みんなのコメント
21歳のとき福岡市の少年文化会館って所であった
ライブコンサートでお会いしたことがあります
彼女と同じ時代に生きて来れたこと幸せに思います
どうか安らかにお眠りください…。
うちも女子校だったけど真田広之はいなかった。
変態教師はいたなあ。
曲が若者への悪教育自滅の計で、自分自身も犯罪、#”$#”、薬物に走り、最期も薬物の影響で心筋梗塞で死んだろうのだろう。
世界大戦が近いと思えるので、デモをして逃げよう。個人的にいい加減にブログで人々を教育して、一人でもデモでアピールして逃げよう。あなたのブログ、デモを見せてくれ。それだけでもいい。
やならららわらなわわらはらままりもにりんをほなりをりはまらはわならはるはりりわやよす
同年代のイルカさんと山本潤子さんが好きだったので、
存在は知っていたけど、聞いた事はほとんど無かったですね。
はまるとクセになったのだろうね。
御冥福をお祈りいたします。
「昔ライブハウスで共演した事があるのが自慢の1つ」と
テレビ番組で言ってたな~!
菓子さえメロデーさえ出てこない
タイトルの「心の奥深くまで突き刺さる力」
の歌って
思い出せない物なんだな~~
ご冥福を祈ります
それくらい「ぼくたちの失敗」はインパクトがあった。
ご冥福を御祈りします。
大学浪人時代に知り、その世界にはまり込んだ私は、彼女が活動を休止した1983年に結婚しました。その後も当時買ったLPを時々聞きながら、混沌としていた自分の青春時代を懐かしみながらも、子育てや日々の生活に追われていた。そんな時テレビドラマの主題歌に使われてヒットしているのを知った時は、少し複雑な思いがしたものです。マイナーな存在でいて欲しかった思いと、その素晴らしさを世間が認めてくれた嬉しさと、どちらともつかない思いでした。
二度と戻らない青春の一ページを飾ってくれた童子。ライブハウスや黒テントで聞いたあなたの歌声が耳から離れません。
ご冥福を只管お祈りいたします。
森田童子は世代的には私より少し上だけど、青春時代に聞いたあの歌声が忘れられなくて、今でも聞くことがあった。
西城秀樹とか森田童子など世代が近い人が亡くなっていくと、すごくさびしく感じてしまう。
森田童子。ありがとう。
セーラー服姿を思い出すなぁ。。
ボブ・ディランの影響下を匂わせる楽曲、
物凄く繊細な方だったと思います。
ゆっくり安らかに。
西城秀樹さんとさほど年齢がかわらない。
早すぎるよ・・・
ご冥福をお祈り申し上げます
『たとえば僕が死んだなら』のような、遺言にコード進行を振ったのではと思えるほど衝撃的な曲は独特であった。
中島みゆきとは違う、悲壮感漂うのではなくて何故か恍惚とした世界観を描けるのやはり彼女だけの物であって、このような曲を描ける人はもう彼女以外には出てこないであろう。
貴重な人を失った。
とても残念です。
彼女の音楽はどことなく東大紛争時代のフォークの香りがした。けど、主な活動期間は80年前後数年で、既にその頃はフォークブームも過ぎ去った時代。彼女が一人遅れてやってきた不思議な感覚もある。孤軍奮闘の孤高さが、また楽曲の寂寥感に花を添えているようにも思える。
彼女の楽曲にはフォーク特有の政治的なモノは薄いけど、今政治に携わる人達が若い時代に何か心を動かす内に秘めた情熱があったんだと思う。
自分がドラマで感化されて彼女のレコードを視聴したクチで、いわゆる90年代世代。一方で、彼女が活躍していた時のファン。つまり70年代ファンもいるわけで。一人の歌手に2世代のファンがすみわけされていた。という唯一無二の不思議な歌手でもあったね
当時MJ(古館伊知郎司会)の音楽番組で彼女の特集が組まれたけど最後まで出演は拒み謎だったが、それが逆に良かったと思う。
高校教師。。。全シリーズ見たな☆
まぁ好きな人にはね…
「ぼくたちの失敗」で彼女を知って、「おとこなのに泣いてくれた」も録音したなぁ。
とても暗いのだけど、何故か心に浸みる歌が好きでした。
ご冥福をお祈り致します。
そして 安らかに
ありがとう。さようなら…
月日が流れるのは早いですね。今年はたくさんの思い出に残る方々が亡くなっていきます…
ご冥福をお祈りします。
ドラマの印象的が強いのも主題歌によるところも大きかったのかもしれない。
ご冥福をお祈り申し上げます。
名前も曲名も曲調も
暗すぎて聞く気になれなかった。
どう見ても怪しい人なんだけど…
少し前なら【ゴーストライター】使ってた人。
あの歌声はそれ以上に衝撃でした。
暗くて歪んだ空気感?、でも透明で繊細で優しい。
うす張ガラスみたいな感じ。
それにしてもどんな主婦生活されていたんだろう…