コートを右から左に走り抜けて打つブロード攻撃「モトコスペシャル」を武器に、世界で活躍したバレーボール日本代表のエースも、昨年50歳の節目を迎えました。選手時代より引退後の芸能活動歴の方が長くなった大林さんが、過去と未来、そして今の自分を語ります。(聞き手・梅崎正直)
大事な右脚のけが克服…恩人は中畑清さん!?
――中学からバレーボールを始め、ソウル、バルセロナ、アトランタと三つのオリンピックに出場。長い選手生活でした。その間には、けがによるピンチもあったのでは?
どのくらいのけがを「けが」と呼ぶか、なんですけど、私たちの時代は今と違って、指の脱臼や疲労骨折くらいは、けがのうちに入りませんでした。春の高校バレーに出場した学生の頃から、それが当たり前でした。その感覚でいえば、大きなけがはしないで来れたのかな、と思います。
ただ、1度だけ、自分の選手生命を心配したことがありました。日立にいた1989年の6月頃に膝の半月板を痛め、復帰したと思ったら、今度は足の靱帯(じんたい)を切ってしまったんです。どちらも右脚でした。
私の武器は移動してのブロード攻撃で、ジャンプは右脚だけで踏み切るんです。復帰しても、以前のような感覚が戻ってくるのだろうか、という不安もあり、初めて引退ということも頭に浮かびました。
――そのとき、何が支えになりましたか。
その療養中、テレビでプロ野球の日本シリーズを見ていました。巨人が近鉄に3連敗した後、4連勝して優勝したシリーズです。あのとき、もう引退が決まっていた中畑(清)選手が、最後の試合でホームランを打ったんです。感動して、「私も頑張ろう!」と、それから前向きになることができたんです。
そのことを中畑さんに話したので、会うと今でも「オレが恩人だ!」っておっしゃいます(笑)。
小学生から長身、「死にたい」と思っていた
――そもそも、バレーボールに出会ったきっかけは何だったんですか。
子どもの頃は歌手やアイドルになりたかったんです。でも、小学校のときから身長が高くて、男の子たちから「デカバヤシ」とか「ジャイアント素子」なんて呼ばれて、アイドルになるなんてムリだとも言われました。いじめられていたんです。引きこもってしまって、「死にたい」と思ったことは何度もありました。
そんなときに、アニメの「アタックNo.1」の再放送を見て、バレーボールに興味を持ったんです。いじめられて引きこもっている自分を変えるには、バレーで「オリンピックに行くしかない」と思いました。だから必死でした。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180113-00010000-yomidr-ent
人間って嫌な生き物だ
語呂がいいな。
そんなこと言われたらもうそれしか頭に残らんやん。
まいったなぁ。
これからどっちで呼ぼうか悩む。
バスケやサッカーの選手だったら活躍できてなかったと思うので
バレーやって正解
私は177センチだが兄弟の中で一番小さいのを今でも恥じてる。厳しいことを言ってしまうと単純に小さい男はどんな服を着ても大きい人ほどカッコ良くは見えない。
少し心配だなあ。
当時は、ここまで彼女に心の傷をつけていた意識はありませんでした。
40年くらい前の話ですが、御免なさい。
バレーをされている時から、素敵だと思っていたんだけど、とても気さくに写真を撮らせていただいて、後日、お手紙もいただいて。。。
今も大切に持ってますよ。。。
これからも、活躍してもらえると思ってます。。。
もっと謙虚になれよ!
今は下流老人だ。
それでも負けない、頑張るぞ。
小坊時代なら余裕で勝てただろうに
気が優しそうだから黙って耐えてたんかね…
最近は吉田沙保里とか強い女子が人気あるから
ブサイクで卑怯なクズ男はボコってしまえばいいんだよ
外見でいじめられてる女子は戦え!!
レスリング界・柔道界はそんな君を待っている。
見せていくべき。美人はハイレグレオタードでバレーしよう
苛めに繋がり易いが
大人になってからの人並み外れたは
魅力だよな
この人、現役の時は本当にキレイで強かったからね。
長い髪を前髪も一緒に高い位置でポニーテールにして、かっこよかった。憧れたなぁ。
その理由は、動きやすいのと注目を受けてやる気が出るのが理由でした。
今の選手もハイレグまでいかなくともブルマには戻すべきですね。陸上なんかはブルマ増えてきてますしね。