4月5日に肺がんのため死去したアニメーション映画監督の高畑勲さん(享年82)のお別れ会が15日、東京・三鷹の森ジブリ美術館で営まれた。開会の辞は、宮崎駿監督(77)が読み上げ、「55年前のバス停で声をかけてくれたパクさんを忘れない」と涙で別れを告げた。
盟友との別れに涙が止まらなかった。高畑監督と宮崎監督は日本のアニメ映画界を礎を築き上げた先人。84年には宮崎監督の映画「風の谷のナウシカ」をプロデュース。翌年、宮崎監督とスタジオジブリを設立し、二人三脚でヒット作を生み出した。
盟友との別れを「ジブリとして盛大なお別れ会で送りたい」との思いで葬儀委員長を務めた宮崎監督。青やオレンジなど色とりどりの野花で囲まれた祭壇を前にさみしそうな様子。「初めて言葉を交わした日をよく覚えています。
穏やかで賢そうな青年の顔を覚えています。あの時のパクさんの顔をありありと思い出せる」と振り返った。東映動画時代の思い出話しを事細やかに話し、「パクさんは仕事を成し遂げていた。僕はそれを支えたのだった」。何度も、何度も眼鏡をとって涙を拭い、「パクさん、俺らはあの時精いっぱい生きたんだ」と別れを惜しんだ。
この他に久石譲氏(67)らが出席した。
高畑監督は、東大仏文科卒業後の59年に東映動画に入社。同社で宮崎監督と出会い、組合活動を共にし親しくなった。アニメ制作会社に移籍しながら、70年代にはテレビアニメ「アルプスの少女ハイジ」「赤毛のアン」などを演出。
「―ハイジ」では「現地の人が見ても違和感がないものを」と、当時は異例の海外ロケハンを敢行。宮崎監督と違い自らは絵を描かないが、一貫してアニメーション表現の限界に挑み、日本のアニメを進化させてきた。
88年には野坂昭如さんの小説「火垂るの墓」を自身の脚本、監督で映画化。戦争の悲惨さを語りながら、耐え難い人間関係から逃れた子どもたちのたどる結末を描き、人とのつながりが希薄になった現代社会に生きる人々に問いかけた。
紅花の生産風景などを緻密に描写した「おもひでぽろぽろ」や、「平成狸合戦ぽんぽこ」などの監督作品は国内外で高く評価された。
◆高畑勲(たかはた・いさお)1935年10月29日、三重県生まれ。東大仏文科卒業後、東映動画に入社。68年に映画「太陽の王子 ホルスの大冒険」で長編監督デビュー。「母をたずねて三千里」の演出や映画「じゃりン子チエ」を監督。98年に紫綬褒章受章。2014年には仏アヌシー国際アニメーション映画祭で名誉賞。16年に米アニー賞でウインザー・マッケイ賞を受賞。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180515-00000042-sph-ent
みんなのコメント
ご冥福をお祈りします。
在日なのかと思ったわ。
宮崎さんとは作品の色合いが違っていたからこそ、お互いにリスペクトできる間柄だったんでしょうね。
信じられない。
宮崎アニメは見ているとノイローゼになりそう
ほたるの墓以外は可もなく不可もなく
なんだよな
尊敬できて、困った時にはお互い助け合い、一緒に切磋琢磨出来るような・・・・
そういう人に巡り会え一緒に仕事することができた高畑さんも宮崎さんは幸せだね
故人を偲ぶのは葬儀で良いのではないだろうか
大人数集めて自分の気持ちを聞かせても、それは故人への気持ちなのだから他人に聞かせても意味があるのだろうか
パフォーマンスぽっくて好きになれない
故人への言葉なら、位牌に一人で話せばよい
何とかがんばって下さい。
健康に気をつけて!
それを見て二人の関係がどんなに深いものだったかわかったよ
高畑監督も天国できっと感慨深いことでしょう
三重県の英雄だから、国民栄誉賞+県民栄誉賞を送ってほしいね
改めて合掌
高畑監督、安らかにお眠りください
お葬式などの場で人が悲しんでいるときにその人達の泣き顔を写真撮る記者さんたちはなんだかきらいです。
これから先、そういった作品と出会えることはないと思うし、だからこそ貴重。高畑さんが残した作品を知る、今の大人達が語り継ぎ、これからの世代に繋げる必要があると、そう感じます。
東映動画もアニメ会社なのに、日本アニメーションや東京ムービーの名前は絶対に書かないて?
ご冥福をお祈り申し上げます。
子供から大人になって価値観が変わったのかと思ったが違うようだ。
これから高畑、宮崎コンビの映画はすごくかみしめてみたい
天国でまた素敵な映画をつくってほしいです
火垂るの墓は決して泣ける映画ではない
らしい。
高畑さん、素晴らしい作品をありがとうございました。
身体中の穴という穴から体液を激しく噴出させながら叫び暴れる様子じゃないの?