ひろゆき氏、「親ガチャ」に見解「使うのは良くないとか言ってるのは、恵まれた環境で育った人のおごり」(スポーツ報知)
私は大好きな両親に育ててもらって運が良かったのかもしれませんね。おとんもおかんも愛してます。#Yahooニュースhttps://t.co/Zob3ylETiS
— しょうせい (@shouseihk) September 13, 2021
ネットの反応
産み育ててくれた親に対して!!って憤る人は相当幸せで恵まれていると思う。
親のせいで苦労した、って経験がないのは恵まれている。
環境が違うんだから価値観を押し付けてこないでほしい
社会人になって営業で仲良くなった購買の若い女のコが雑談してる中で『実家帰りたくない』『親と上手くいかない』『縁を切りたい』とかって言葉が沢山出てきた。
すごく普通に良い子で人を馬鹿にしたりもしない節度ある子だった。
私は親元ってのは気を抜いてリラックスできる場所だと思ってたし、それが全ての子供の気持ちだと思ってた。
営業して勉強になった事は自分の普通ってヤツが普通ではないと言う事。
当人の気持ちと同じにはなれないけど、『普通』って考えはダメと理解できた事。
ゆゆうたも親に敬意を払えない人が信じられない、あり得ないとか言ってて嫌いになった
厳しくも愛があり、自立するまで金銭的にもずっとサポートをしてもらったとかならまだ分かるけど世の中そんな親ばかりじゃない
自分の物差しだけで善悪をつけないでほしい
借金だらけの家庭でシンママ母親水商売だったので、恵まれた環境との比較は毎回しますね…
これ言うと育ててもらったのに‥とか言われますけど、どれだけ堪えてきたかわからないから軽く言えるんだろうなーともおもう。もちろん親を恨んではないし感謝もしてます。
いろんな子見るけど、虐待と貧困の合わさった家庭はホントに底無し沼みたいだよ。
そこに親や本人の障害が加わるともうどうすればいいのか・・・
本人の努力で乗り越えられるとか、引っくり返せるとか、私にはちょっと言えない。
ガチャという言い方に違和感ある人もいるだろうけど、外からでさえ「せめてこの親でなければ」と思ってしまうことはある。
友人に親からネグレクトされた経験聞きました。もうその親と縁を切ってるみたいだけど、相当苦労したのが強い性格からもわかった。
自分は親ガチャで言うなら大当たりだった人間ですが、だからこそこういう言い方や概念は「あり」だと思います。逆に自分自身が自分の親のような良い親になれるとは思えず、
子供を「親ガチャ」で不幸にしてしまったらとても責任を取れないと思ったので、結婚も出産も放棄しました。
ちなみに自分の両親は、「親ガチャ」はハズレだったそうです。
存在しない方がはるかにマシな親って確実にいますよね。でも人間自分の目で見たものしか信じられないってのもしょうがない。
「けしからん」派は、どんな親もそれなりに子に対する愛があると信じて疑わないのでしょう。
呼び名はともかく、親とか環境とかは人それぞれ差異があって当然である。
親や環境に差異がなかった社会など、歴史上にもほとんど存在しなかったと思われる。当たりハズレも当然あるだろう。問題はその事実の使い方である。
「自分は親ガチャがハズレだから…」に続く言葉が問題であり、「自分の子供を辛い目に合わせないように親よりもっと頑張ろう!」となるのか、「全部親や社会のせいだから、自分が働かずに惰眠を貪ってても誰にも文句は言わせない!」となるのか、「犯罪をしても自分のせいじゃない」とでもなるのか…そこは結局、自分に問い返される問題であろう。
努力不足とかで片付けようとする人達は、何日か食事を抜いてみて欲しい。
仕事も勉強もできないと思う。
栄養失調や極度のストレスに晒されたら努力はできないんだよ。辛い境遇で育った人達は大人になる程に人生がよくなるから、他人よりも過去の自分と比べて希望を持って欲しい。
親ガチャにやたらと憤ってる人達が怖いのは、善意で言ってるんならまだしも実は悪意に満ちている可能性がある。要は親ガチャという言葉の背景には人生は先天的な才能次第であるという理由を作って金やモノ、地位を巡る競争から早々に降りることで、
国の経済格差や貧困化が進んでいてもそういう価値観を若くから持った若者たちは別の幸せを探すことで上の世代よりも幸福度が高い(=時代に適応している)という調査結果も実際にあるのに、
戦う前から試合放棄をされてはこれまで武器として使ってきた金や「努力」が自分を誇示する、人を否定する上で価値が暴落してしまうから気に入らないってわけ。
実際ここでも二言目には努力努力で本来の論点と見当違いな人も結構な数いるし、聖人君子に見えて実際は殴れなくなるのがムカつく!っていう人は結構多いんじゃないかね・・・。
親も兄弟も好きだけど、周り見てると、親ガチャ兄弟ガチャ、義父母ガチャは明らかにあると思うよ。
友人、配偶者はある程度、自分で選べるからガチャとは思わないけど。
やばい毒親を持つ子供たちが、自分が悪いのではなく親がおかしいってことに気づいて洗脳を脱するきっかけになるなら、「親ガチャ」って言葉はいいと思う
俺は「時代ガチャ」で現代を引き当てたのは凄く幸運だと思ってる。
ただ、昔なら昔で現代を知らない分、当時の人々にとっては当時のすべてが最新であり、それはそれで幸せと感じていたのだとは思います。
また、さらに「国ガチャ」で日本を引き当てたのも超幸運だと思ってる。日本食うまいし。
まあ何事にも運はあるよな。生まれる国や地域、親兄弟などの家族環境から自分自身の性別、健康状態、身体機能、美醜や知能、才能など。
もちろん後から努力で覆せる部分もあれば限界もあるけど、そもそも努力できるかどうかも先天的な性質で左右される面もある。
でも結局は配られたカードに文句言ってもどうにもならないんだからその中でベストを尽くすしかないでしょ。
そうやって割り切れるのは恵まれた人間だけだと言われても、それでも割り切るしかないものは割り切るしかない。
育成はこちらで影響を及ぼす範囲。
親は100%選べない。どちらがガチャだと?
意味を理解した方がいい
↑
どっちもガチャだよぶっちゃけ。親も選べないし子供も選べないよ。子供は育て方によるって人もいるかもしれないけど生まれながらに障害があるかもしれないし
少子化とネットの影響で子どもの意見が可視化されてきたのだと思う
要するに自分で選択できない事を指しているわけで人生それは生きてる限り続くよ
良い家に生まれて高学歴で就職しても上司ガチャで大外れって事もあったり、会社倒産したら就職ガチャ大外れとか。
人生大きく運に左右されるのは誰もが認める事だけど腐っても仕方ない、どんどん次のガチャを回していきましょう。
>一昔前の親は親として達観していたのと、今だったら虐待になる事も表沙汰にならなかった事もあると思います。虐待の基準も厳しくなっているしね。
今の中年が子供の頃なんて
「外に立ってなさい」は普通にあったことだと思うけど
今は虐待だし。
環境ってことだね
不幸な環境のなかでまともに育つことは
考えられる以上に過酷な事
ただ想像力があれば解る事
世の中全て平等ではないという事を、学校や親はまず子供達に教えるべきだと思います。
平等ではないからこそ、そこからいかに抜け出すか?努力できるか?
助けてもらう、逃げる等の選択肢等の方法を、少くなくとも義務教育まで、できれば高校まで各学年で教えるべきでは?これから日本だけでなく世界とも渡り合わなければいけない中で、わざと日本人をダメにしている気がします。大人達よ自分に近い未来返ってくるんやで?
子供は親を選べないということを表した言葉で、それ自体に何の問題があるの?
問題は中身であって、形ばかりのことにこだわる方が、真の意味で問題だと思う。ちなみに俺の父は新聞1面クラスの事件を起こし、5000万円の借金を残った家族に押し付けていなくなった。
完全にガチャだと思うが、20数年かかったけどあと1年で完済できるまでこぎ着けた。
出たガチャがどうであれ、結局は自分の人生。くだらないものが出たとしても、その後の生き方で価値あるものに変えることはできると思う。
子からすればそう言いたい気持ちもあるってことで、それはそれで「けしからん」と言う必要もないと思う。ただそれを聞いた大人は「なぜそんな言葉が発生したか」「言われている親はどんな人物か」という点を深く考えていくべきだろう。
表面的な言葉の賛否なんてどうでもいい。深堀できない大人がいることが一番の問題なんだと知るべき案件としか思えないのだが、なぜにそう思わない大人の多いことか。残念。
面白半分に使ってる言葉じゃないと思うのにけしからんとか言わないでほしい。
親も子供を選べないけど、作る作らない、産む産まないの選択ができる時点で話が違うしね。いやな言葉ではあるけど、いやな言葉でしか表現できない事象ってあると思う。
子供は親に対して不本意に感じることがあっても、親は子供の育つ環境をある程度整える努力をすることはできます。
子供が感じる不満に対して不本意な感情を、親側が持つのは親のエゴ以外の何ものでもないと思います。
付ける名前一つにしても、自分の立場で一生背負っていくならどうだろうということをよく考えてつけてほしい。
子供は親の所有物もしくは年金製造機ではありません。
「子は親を選べない」はいつの時代に出来た言葉だろう。
「親ガチャ」は言い方がポップになっただけで全く同じ意味であり、
異音同語。つまり言われ始めた昔と何ら変わってない。ただ「ガチャ」と使うなら「引き直し」が出来るが、この場合は
出来ない。
親ガチャという言葉を使う事をダメだとする理由が全く分からない。
親ガチャって、ただの事実だから。親ガチャを言い訳にしてても意味は無いとは思うけど。
親とは関係無く、
自分で作り出せる未来もあるから。
そりゃ未だに根性・精神論の信奉者が多いからな。
ワーストケースを無視し、ベストケースを当たり前のように扱って「這い上がれないのは努力が足りない」と切り捨てる。
こういう人間がいなくならない限り、弱者は救われないし、中にはおかしくなる奴も出てくるわな。
>ただそれを聞いた大人は「なぜそんな言葉が発生したか」「言われている親はどんな人物か」という点を深く考えていくべきだろう。使う子供の側も
「自分が親になった時、子供に『ガチャハズレ』って言われたら
どんな気分になるだろう」と考えた方がいいかと。
せいぜい高校生くらいまでが使うならわかるが
そこを超えて使っているような人には
大人ヅラして権利行使してほしくないな、と思う。
まぁ最初から裕福ならだいぶ勝ち組だよな。這い上がるにはかなりの労力が必要だし。
親を子が選べないのと同様、親も子を選べない。ガチャとか言っても無意味。
どうしようもないことを誰かのせいにしたいだけ。
その親も、自分で環境を選んで生まれてきたわけじゃないから、ガチャに失敗しただけ。
自分にできることは、自分の子どもを幸せにしてあげることだけだろ。
そう思って頑張っても、きっと、自分の子どもにも親ガチャ失敗したって言われると思うけどね。
言葉って移ろい易いから、使われているうちに軽くなる可能性はあるけれどね。
今の自分の不遇を周囲の責任にしても良いけれど、敵意を向け過ぎなければ良縁
はきっとあると思いますよ。
昔は貧乏でもどんな親でも、大人になってちゃんと働けばそんなに格差を感じることはなかった。
最近では親によって、子供の頃の経済的境遇によって、一生が決まってしまう。だから親ガチャなんて言葉が生まれた。
嫌な世の中だな、やっぱり子供にとって機会は平等であるべきだ。
その通りだと思う。
良くないって言ってる人は、恵まれた環境にいると思うなぁ。
勿論、そうじゃない人もいると思うけどね・・・。