7月2日、落語家の桂歌丸さんが亡くなった(享年81)。晩年、酸素吸入器を着けた姿も見受けられたが、ともに番組を盛り上げてきた『笑点』メンバーたちが、8日に放送された緊急追悼版『笑点』や12日の『ミスター笑点 桂歌丸師匠追悼特番』(ともに日本テレビ系)でも明るく笑いを誘っていたことで、賞賛の声が集まっている。
もちろん、それは本当の不謹慎にならない話術とチームプレーがあってこそだろう。これまでも、落語家やお笑い芸人たちは、葛藤しながらも盟友や家族などの死を“笑い”に昇華してきた。“笑い”を生業としている芸人たちの、覚悟の弔いとは?
■“真の芸人”集団で形成された『笑点』、“笑い”を冠する番組の使命
『笑点』は1966年の放送開始以来50年以上、常にお茶の間に“笑い”を届けてきたが、ときには“不謹慎”との境界線も模索してきた。大きな災害など国規模の不幸があり、何をしても不謹慎と謗られ、エンタメすべてが“自粛”ムード。その中においても、『笑点』はいつも通りに“笑い”を提供し、例えば後になって被災地からも「ありがたかった」との声もあがったのである。
林家木久扇が、歌丸さんが亡くなってから初の『笑点』の収録で「(亡くなったことと)笑いと結びつけて放送するのが大変なことだと思いました。悲しいのに笑っていただかないといけない、難しい商売なんだなと思いました」と語り、春風亭昇太も番組で「『笑点』ですから、“しんみり”ではなく、明るく陽気に死を送りたい」と話したように、『笑点』の名前に嘘がないようにどんな時でも“笑い”に徹底的にこだわる番組である。
歌丸さんは、そんな『笑点』の第1回放送からレギュラー出演している初期メンバー。2006年から『笑点』50周年の2016年までの10年間は、“司会”として番組を仕切ってきた“終身名誉司会者”だ。立川談志、前田武彦、三波伸介、三遊亭円楽(五代目)と、歌丸さんまでの歴代司会者はすべて故人となってしまったが、考えてみれば過激な“メンバーいじり”など、どの時代でも批判も辞さない覚悟で笑いを取るのが定番だった。
■歌丸さん自ら“不謹慎”を笑い「笑いのためなら俺を墓場に入れてもいい」
『笑点』と言えば、時にはメンバーたちと“不謹慎”にいじり合う“お決まり”が人気の理由のひとつになっている。例えば、三遊亭円楽(5代目)さんの「馬ヅラ」、「若竹潰れる」ネタ、6代目円楽の「腹黒」ネタ、
林家木久扇の「先に回答を言われる」、「木久蔵ラーメンまずい」ネタ、そして、回答者時代も、司会者時代も病と闘っていた歌丸さんには「骸骨」、「死にそう」、「ハゲ」、「恐妻の富士子(夫人)」ネタをぶつけるなどなど、かなりブラックだ。
特に、円楽が歌丸さんを「遺骸」(司会と引っかけて)と言えば、歌丸さんも円楽に「腹黒い」と言うそんなバトル(罵り合い)はお馴染の光景。8日放送の『笑点』で歌丸さんの思い出話に触れると、円楽は“不仲”の先駆けだった三遊亭小円遊(4代目)さんとの「やりすぎて世間にも浸透しちゃった」エピソードを披露。地方の公演でも離れて歩き歌丸さんとの仲が悪い“演出”をするなど、そこまでして番組を盛り立てたと言う。
一方、プライベートでは歌丸さん自ら体にトイレットペーパーを巻き付け“ミイラ化”して笑わせた逸話も懐かしそうに語った。他にも、以前、林家たい平が「(笑いが取れるなら)俺を墓場に入れてもいい」と歌丸にアドバイスされたことを明かしたように、あくまでも“笑い”が最優先の姿勢はメンバー同士の関係性から見ても『笑点』の伝統なのである。
そして、歌丸さん死去の報を受け放送された8日の『笑点』では早速、歌丸さんをお題にした大喜利を披露。円楽を筆頭に、歌丸さんと“死”を結び付ける定番の“不謹慎ネタ”を堂々と吐く。さらに、12日放送の『ミスター笑点 桂歌丸師匠追悼特番』でも、木久扇が「私は50年以上のつき合いがあるんですけど、いっぺんもごちそうしてもらってないんですね。
なのでごちそうしてもらいたいです。終わり」とコメントし、徹底して笑いにこだわってみせた。また、“座布団運び”の山田隆夫が思わず涙を流せば、同じく木久扇が「泣かないのっ!」と子どもを諭すように声をかけて笑いを誘う場面も。
普通ならば「不謹慎だ」と批判されかねないようなところだが、笑点メンバーたちは歌丸師匠の死さえも“笑い”に転じ、噺家・桂歌丸さんへの精一杯のリスペクトを表現したのである。
■上岡龍太郎、タモリ、松本人志…悲しみを“笑い”に昇華した弔いの言葉たち
また、これまでの落語界以外の弔い方でも、2000年に芸能界を引退した上岡龍太郎さんの故・横山ノックさんへの言葉は伝説のひとつになっているだろう。2007年、お別れ会の“献杯の挨拶”で「ノックさん、あなたは僕の太陽でした」と印象的な一節からはじまり、
「漫才師から参議院議員、大阪府知事から最後は被告人にまでなったノックさん」と笑いをとると、「芸人を送るのに涙は似つかわしくありません」と締めた。引退して数年経っているにも関わらず、盟友を前に芸人魂を見せつけたのである。
さらにギャグの神様・赤塚不二夫さんが亡くなったときも、タモリは「私もあなたの数多くの作品のひとつです」と弔辞を締めるまで、真っ白な紙を手に約8分間の“アドリブ”を聞かせた。「赤塚さんならギャグでいこう」と“勧進帳”(歌舞伎の演目で、弁慶が関所で白紙の巻物を読んでその場をやり過ごす話)を元ネタにしたという。
他にも、ダウンタウンの松本人志は『ワイドナショー』(フジテレビ系)で、自分の父親が亡くなったときの相方・浜田雅功のエピソードを披露。強面で知られる浜田の意外な一面と深いコンビ愛が知られることになったが、「浜田(雅功)さんが(松本の父の葬儀後)だいぶ経ってから実家にひとりで来たらしいんだけど。
おかんの話では浜田、めっちゃ泣いてたらしく。そんな親しくもないはずだけど…誰かと間違えてるんとちゃうかな」と語り、実父が亡くなった悲しみも芸人らしく相方の話題で笑いに繋げた。
よくよく考えてみれば、人を笑せることを商売としている芸人たちにとっては、自らの死、あるいは盟友、家族たちの死さえ、最大の“オチ”なのかもしれない。桂歌丸さんにしても、自分の死を湿っぽく送ってほしいとはおそらく思っていないだろうし、送る側の笑点メンバーたちもその“期待”に応えてしっかり笑いを取りにいった。こうした“不謹慎”でも“不憫”にもならない弔い方が、芸人の“あり方”でもあり、残ったものの“覚悟”なのかもしれない。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180713-00000336-oric-ent
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