タレントの萩本欽一(76)と香取慎吾(40)がこのほど、都内で司会を務める日本テレビ系人気番組『欽ちゃん&香取慎吾の第95回全日本仮装大賞』(2月3日、後7:00)の取材会に参加。39年の歴史を誇る番組で史上初の0点が出たことを明かした。
番組は20点を満点(第1回は15点満点)とし、合格点を下回ると不合格となる。どんなに低くても、情けで2~3点は取れるのが通常で、それが40年近く続けられてきた。しかし、2月3日に放送される第95回では、まさかの事態が起きたという。第1回目から司会を務める萩本は「0点、出ちゃったね」と史上初の0点が飛び出したことを驚きながら明かした。
ただ、その出演者は2週間にわたる猛練習を行い、決してふざけていたわけではなかったという。応募総数3316組の中から予選を勝ち抜いた35チームに含まれる精鋭で真剣にやったからこそ、萩本は「どういうわけだか、嫌な気分がしなかったね。まずいかなって思ったりするんだけど(今回は)いいんじゃないのって思った」と清々しい結果だったと回想。客席にもどんよりムードはなかったそうで、香取は「客席も『0点』っていう感じ。1点も入ってないのに、え~っていうのがなかった。『はい、お疲れ様で~す』みたいな」と苦笑いで振り返った。萩本は「僕の中では2点か3点かなって思ったら、ポンと0点。この番組は新しくなった。新しくなれた」ときっぱり。そろって「まずい雰囲気はなかった」という共通認識だった。
また、梅沢富美男、ブルゾンちえみ、又吉直樹らが審査員を務めた今年は辛口の審査だったという。近年は甘めの判定が続いていたが、萩本は「昔の仮装に戻って、気分がよかった」とにっこり。香取も「最近は、ほとんど20点満点で、みんな合格。落ちるのが1組か2組みたいなのが続いていた。『これも合格?』みたいに言っちゃうぐらいだった。それが今回はあらためて、僕と欽ちゃんが『こんなに頑張ったんだよ』と応援した。これが仮装大賞だな、と。久々な感じがして気持ちよかった」と収録を楽しんだという。
仮装大賞といえば萩本が、あと少しで合格という点数の作品の際に審査員に「上げたげてよ~」とおねだりすることも名物となっていた。しかし、近年は甘めの審査が多く、見せ場が減少。「昔は点数を上げていくのが私の仕事だった。仕事がなくなったから元気がなくなっていった」と苦笑い。「これで何か変わるんだろうなって思った」と新しい路線が見えたことを明かしていた。
また、取材会で香取は「この間も、そうだったんですけど、スタッフの方のいないところで『仮装っていうのは、こうやって行くんだぞ』という話をしてくださる。スタッフとの向き合い方とか(笑)。真剣な感じです」と“後継指名”されていることを明かし、萩本は「年も年なんで、この番組を慎吾に任せたよというつもり」と大まじめに語った。香取は「みなさんも分かっていただけたと思いますが、結構、本気なんです。困ってますね」と頭をかいていた。
引用元: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180119-00000359-oric-ent
どうやって予選突破したんだろ?
会場含め満場一致の0点感ならさぞかしダメダメだったのだろうな。
本当の仮装大賞らしく見えるが。
もちろん予選から勝ち抜くのは、大変だったと思うが、ほとんど合格で、面白くなかった。
小さな子供が出れば、ほとんど合格。
ちょっと頑張れば、合格。
そんな、なんか面白みがなかったけど、原点に返って、合格者は半分や1/3でもいいと思う。
いい意味で、厳しくしてくれて、まあ、面白くなれば良いですよね。
泣く→合格
大人数→合格
愛想がいい→合格
だったからなw
「面白くないのは0点出しちゃいましょ。
その方が話題にもなるし、視聴率稼げますよ。」
それに子供を出せば点数が稼げるからってのも面白くない。
芸能人枠も白けるばかり。
かと言って変な方向や過激な内容に走るのは論外だけど
昔は家族で見たな。
正月1番楽しかった番組は高校サッカーだったな。
林檎!っていうのが好きだった。
あと、全身カラータイツの二人組。
久しぶりの仮装大賞なので子どもと楽しみながら見ようと思います!
有名な芸人さんが一般参加として出てくると正直萎えてしまう。
面白くもなんともない。
単純な1発芸みたいなのが好きだったな。
いまだに貝の缶詰やボンレスハムを思い出すが、最近はほとんど覚えてない。
つまんね
でもわかっていてもてつい見てしまう。
黒板消とかいうやつで、黒板消しの仮装した二人が、唯、どつきあってるやつで。
で、その二人が、0点とったとかで、何年かたった後、紹介されたような?
記憶違い、既出だったら、すみません。
みんな結末を分かっていながら
見いて楽しかった
これは人の生き方を
点数では評価できない事を
何となく薄々みんな分かっていて
点数評価に対する警鐘だった
のかもしれない
科学技術も、資本主義も万能では無い
「男は辛いよ」の虎さんも
「スーダラ節」も
GHQの推し進めた
合理主義、民主主義、資本主義に対する
漠然と感じていた限界を感じていた
警鐘だったのかも知れない
人は感動しなければ
動かない事を良く知っいたのでしょう